名刹の旅 no32 : 興福寺・南円堂
★ 夕暮れの猿沢の池(2016年2月8日)
★早朝の五重塔と東金堂(2016・2・9)
★ 案内板で興福寺境内整備計画が表示
興福寺は、国宝五重塔ばかりが目立って、個々の建造物と全体とのつながりが
分かりずらい。
よく考えると、未だかって正面から寺社に入ったことが無い、いつも猿沢の池
の横道から五重塔の前へと出る。余りにも五重塔だけが重厚に聳え立っている
ので、寺の中心が五重塔と隣の東金堂であろうと錯覚してしまう。
それゆえに広い境内がなんとなく散慢で、何か物足りなさを感じていた、その
原因は寺社の要である寺門が無いことだと私なりに思っている。
このように興福寺の伽藍配置は、整備計画図を
見なければ分からないことが多い。
たしかに昔は南大門があり、中門があったが、戦火に見舞われ焼失してから長
いあいだ復興が叶わなかったが、それが今回いよいよ復興にむけて、南大門も
更に中金堂も再建計画中のことで、これが完成すると興福寺は一大伽藍として
纏まることでしょう。
★ 東金堂
★ 中金堂は復興工事中
興福寺の変わったところは、金堂が3つあり、それぞれ東金堂:中金堂:
西金堂(跡地のみ)となる。
また五重塔(国宝)は天平2年(730年)に光明皇后の発願で創建されたが
焼失し、現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建であると聞く。高さ50.1
メートルで木造塔としては日本で2番目(1番は京都東寺の塔)に高いのだ
そうな。
★ 花見頃の五重塔
★ 花見頃の五重塔と東金堂
★ 花見頃の興福寺付近(鷺池と浮見堂)
興福寺は、奈良県奈良市にあり、南都六宗の一つで法相宗の大本山である。
藤原氏の祖、藤原鎌足とその子息、藤原不比等ゆかりの寺院で、
藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていた。
この興福寺の境内の一角に南円堂がある。ここが西国三十三ヶ所巡り第九番
札所で、八角円堂とされており、まことに美しくこじんまりとした珍しい建
物である、中に祀るご本尊は不空羂索観音といわれている。
私も大分前に、三十三ヶ所巡りで南円堂にお参りし、ご朱印を頂いた。
★ 南円堂(西国三十三ヶ所)
★ 北円堂は工事中
宗派 :法相宗
開基 :藤原不比等
開創年 :弘仁四年(813年)
ご本尊 :釈迦如来
南円堂ご本尊:不空羂索観音
ご詠歌:春の日は 南円堂にかがやきて 三笠の山に晴るるうす雲
興福寺は 特に国宝、重文等寺宝が多い、これらを収蔵しているところ
が国宝館である。
その中でも八部衆の阿修羅の像は特に有名である。八部衆とは仏法を守護
する八神で阿修羅を除く七神は甲冑をつける。
八部衆は仏教が流布する以前の古代インドの、鬼神、戦闘神、音楽神、
動物神などが仏教に帰依し、善神となったとされている。
★ 国宝館
★ 阿修羅像(原色日本の美術から)
★ 阿修羅像部分(原色日本の美術から)
★ 沙羯羅像(原色日本の美術から)
2009年、東京では「国宝 阿修羅展」開催され、沢山の人々に感銘をあたえ、
日本中に阿修羅ブームをまきおこしたと報道されていた。
もともと、戦いの神(悪神)であった阿修羅は、帝釈天との戦いに敗れ、
釈尊の話を聞いて戦うことの虚しさを学ぶ。つまり阿修羅は己を省みて
善神へと変わった神である。
私も前に、奈良国立博物館で展示された阿修羅を拝観したとき、あのあどけ
ない少年のような表情、あの憂いは一体なんなんだろう。写真では「衆生の
苦しみを知り共に眉を寄せて憂う」と解説されていたのだが゙・・・・