遊女太夫は命とりの床上手:「夕霧」にたくして
私の定年が終わり、第2の就職先が大阪中央区の谷九にありました。
仕事の範囲は大坂南の区域で、自転車または歩いて回った懐かしい
地域です。その隣接に新町がありそこもついでによく出入しました。
その地域を、産経の記者のデイリーコラム覧が、興味のある記事を
載せていたのでその一部をお借りし紹介します。
大阪市の四つ橋交差点の北西一帯は、新町という行政名である。
かつては長堀川と西横堀川など4つの川や堀で四方をかこまれていた
「新町」という、大坂では最大の遊郭街であった。
難波新地や曾根崎新地、高津新地などは私娼街であったのにたいし
新町は寛永4(1627)年、幕府によって正式に公認された。
~ 中略 ~
遊女の世界には、最下層の端傾城から、鹿恋、鹿子位、天神とあがり、
最上位の太夫まで、きびしい階級制度があった。
『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも新町に繰り出しているが
相手にしてくれたのはせいぜい端傾城であろう。
太夫ともなると、莫大な資産がなかったら、遊べなかった。夕霧は
京都・島原の太夫となり、どういう事情かわからないが、その後、
新町にうつってきた。それまで新町には「太夫」はいなかったから、
夕霧が新町の太夫第1号である。
大変な美人のうえ、芸事も達者だったらしい。没年齢は22歳
とも27歳ともいわれるが、大坂中の町民がその死をなげいた
といわれる。
~ 中略 ~
井原西鶴も『好色一代男』に夕霧という遊女を登場させている。
親から莫大な遺産を相続した世之介は新町に繰り出した。夕霧
をこう紹介している(吉行淳之介訳)。
「手足の指は豊かにほそく、姿かたちはしとやかで肉づきよく、
目つきは利口そう。声がよくて、肌の白さは雪とあらそい、
命とりの床上手 ----
~ 以上 ~
夕霧は、言ってみれば たんに「夕方に立ちこめる霧」ですが
源氏物語の夕霧でも、五番町夕霧楼にしても、物語の世界では
全く情感の深い言葉だと思います。