日本桜草の魅力:「名刹」旅の記録

庭に咲く花。中でも日本桜草の容姿に
ついて、画像を見ながら観賞していき
たいと思います。

さらに名刹めぐり、旅の記録をとりま
とめてみたいと思います。

名刹の旅 no51 : 松尾寺


冬が抜けきれぬ今年三月下旬。私たちは車で松尾寺に初めて
お参りしました。


松尾寺は奈良大和郡山市の山手、山林に囲まれた静かな環境
のなかにあります。


まず北惣門をくぐり108段の石段を登れば本堂にたどり着き
ます。参拝を済ませた後静まり返った境内を散策しましたが
参拝者も少なく閑散としていました。 


       ★ 北惣門から入り石段を登る

    ★ 108段の石段を登れば本堂

         ★ 本堂

         ★ 本堂正面

       ★ 本堂側面


とくに目を引いたのは境内の上部にある三重塔です。境内とのバラ
ンスがよくまこと美しく感じました。


松尾寺は養老2年(718)に「日本書記」の完成と厄除けの願いを
かけて舎人親王が建立したと伝わる古刹であります。
厄除けのご本尊は 千手千眼観世音菩薩です。


現在でもすべての厄除祈祷として、


厄除開運、家内安全、交通安全、病気平癒、自動車祈祷、商売繁盛、
お宮詣り、七五三詣り、十三詣り、安産、入学、諸願成就。

などが行わています。


変わったところでは、宝蔵殿に「損傷仏像」のトルソーがあります。
秘仏のため拝観することは出来ませんが、白洲次郎の妻、白洲 正子
の随筆に当菩薩の記述があります。

★ 秘仏の損傷仏像:トルソー(松尾寺のHPから)


★ 三重塔 : 後水尾天皇持仏であった如意輪観世音菩薩が
        寄進され、祀られています。



★ 阿弥陀堂(右): 江戸中期頃に建てられ、阿弥陀如来と
  観音菩薩・勢至菩薩を祀る。
★ 七福神堂(左):最古型の大黒天(重文)をはじめ、七福
  の神々を祀る



       ★ 神霊石の大岩

  

      ★ 参道(帰り道)


住所:〒639-1057
奈良県大和郡山市山田町683 松尾山

日本桜草の魅力 : 嵐山

 


 
9月の声を聞くと、なんとなく秋の気配を感じますが、 
まだ残暑きびしく、鉢植え桜草は、水やりに十分に心せねばなりません。


今日の桜草の品名は「嵐山」です。


嵐山はピンク系で。花の表は曙白て裏は薄桃ぼかしとなり
花形は切れの良い「かがり弁」で抱え咲となり、まことに人目を惹く 
花となります。

  

        ★ 「翁の友」 かも?

   ★ 翁の友(嵐山と混同して真偽の程が分からない?) 


全くよく似た花柄に「翁の友」があります。


私のラベルの取り違いで「嵐山」なのか「翁の友」なのか分からなく
なりました。一応「嵐山」の品名で掲載します。


品名が分かれば教えて頂くと有難いです。

名刹の旅 no-50 : 大原 寂光院

                 

                                   岩清水を引いた三段の滝
                 「玉だれの泉」といって一段 一段高さと角度が異なり、
                      三つの滝のひびきそれぞれ 異なる音色が一つに
                          合奏するようにできているとされる

 

   ★ 寂光院は2000年5月不慮の火災により本堂が焼失し再建中。
       先代の庵主さまが お庭を散歩されていた

        ★ 山門を付近の景観


歳、老いるほどに、若い頃の友人が懐かしくなる。


私が退職の年に、今までずーと文通していた若い頃の友人と
数十年ぶりに会う約束をし、再会の場所を京都大原の寂光院
ときめた。


その前日は大原の宿で、ほのぼのと続いてきた友情を、酒を
酌み交わしながら語り合い、思い出すこと多くその日は強く
心に残る一日となった、


季節は晩秋、寂光院付近は真紅な紅葉にそまる。今回はその
時の記録である。


ここ大原寂光院は「平家物語」ゆかりの寺で、建礼門院様が
隠棲し晩年を過ごされた尼寺である。


寂光院は2000年5月不慮の火災により本堂が焼失した。私達が
訪れたのはその数年後である。その時本殿は緑の養生シート
で囲われ、新たらしい本殿の再建中であった。


しかし境内の木々には影響なく、院を取り巻く自然と紅葉は
一段と冴えてそれはそれは見事ものであった。


丁度その時、先代の庵主さまが お庭を散歩されており、その
お供の方から お庭について説明を受けた。後々にそれが友人
との再会のいい話題となったものである。

★ 境内の風景:空気はよし、紅葉はぐーと冴える


すこし歴史にふれると、建礼門院徳子は平清盛の娘で、高倉
天皇の中宮であり、安徳天皇の生母である。


源平の最後の合戦、壇ノ浦で敗れて平家一族が滅亡した。


この壇ノ浦の戦いで、建礼門院徳子は 安徳天皇・時子の入水
の後に自らも飛び込むが、救助されたという。


建礼門院はその後も生き残り、我が子安徳天皇の菩提を弔いな
がらこの地に侍女たちと閑居して終生を過ごされた。


ここ大原寂光院は、平家物語を今に感じる無常の寺院である。


        寂光院付近の紅葉