名刹の旅 no29 : 根来寺
★ 根来寺伽藍配置図
★ 前山(五百仏山)から根来寺を眺める
★ 大門は嘉永3年(1850)に再建されたと聞くが、とにかくでっかい
毎年、春の花見の季節に思い出す名刹に「根来寺」がある。我が家から
車で40分と比較的近いところだ。この時期根来寺は、大勢の花見客が押
し寄せ駐車場から道路にかけ車でごったがえす。
しかしここの花見を一度でも観賞すると、その情景が鮮明に記憶に残る。
我が家の近くにも桜の名所は沢山あるが桜の見事さは近在の比ではない。
時間があれば、根来寺から500M程の距離に植物公園がある、そこには春
花のジュウタンが広がり。温室では熱帯植物が育成されいる。
子供連れには、弁当持参の遊び場としては最適の場所で、私の孫も子供
の頃何度がここで遊ばせた。
根来寺は、高野山の学僧でもあった覚鑁(かくばん)上人によって開創され
た新義真言宗の総本山である。
天正13年(1585)秀吉の根来攻めで、大塔を残し殆ど焼失した根来寺。
36万坪といわれる広大な境内に中世のたたずまいを残す。また四季折々
に桜、新緑、紅葉が変化に富んで素晴らしい自然となっている。
★ 国宝の多宝塔(国宝)は安定感があって全く写真うつりが良い。この塔は
我が国 最大の木造多宝塔で1547年 天文16年 に完成 した。
★不動堂:私のマイカーの交通安全祈願はここで行う
★ 光明殿
★ 行者堂
★ 本坊
-- 根来桜は満開 --
季節は春、特に桜と新緑の織り成す色合いは格別で、根来寺の大門近くを
流れる根来川に沿ってなだらかな山が続き、中でも根来寺の前山(五百仏
山)の山桜を含む一連の景色は見事で、一度この景観をめでると何度も訪
れたくなる景勝の地でもある。
五百仏山の山道を登ると、途中にミニの八十八ヶ所巡りが設置され、登り
きると根来寺全山が見渡せる場所もある、散策には最適なコースと思うが、
根来寺に花見客が多くて混雑しても、この山中に入る人影はない。
それでは前山(五百仏山)の景観を見てみよう。
★ 前山(五百仏山)の景観
所在地 :和歌山県那賀郡岩出町根来2286
山号 :一乗山(一乗山大伝法院根来寺)
開 山 :覚鑁(かくばん)・(興教大師 )
宗派寺格 :新義真言宗総本山
本 尊 :大日如来
★ 奥の院:興教大師・覚鑁(かくばん上人)廟
以下、歴史参照:ウィキべディア(フリー百科事典)による
根来寺は「室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を
数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆
(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。
また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち
帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた。
織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが信長没後、
羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和
田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招く
こととなった。
生産地となった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地
で敗れ天正13年(1585年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔な
ど数棟を残して寺は焼け落ちた。根来寺における戦いでは寺衆はほとん
ど抵抗を行わなかったため焼き討ちの必要性は薄く炎上の原因は、
秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、兵士による放火など多説あるが
定かではない。」 と解説されている。