日本桜草の魅力:「名刹」旅の記録

庭に咲く花。中でも日本桜草の容姿に
ついて、画像を見ながら観賞していき
たいと思います。

さらに名刹めぐり、旅の記録をとりま
とめてみたいと思います。

名刹の旅 no31 : 壺阪寺 

初めて壷坂寺へお参りしたのは平成8年の夏であった。


それから七年後(平成15年)に、西国三十三ヶ所第六番の札所巡りで、
二回目の参拝をした。


その年が丁度、開創千三百年記念の年で、 境内は前と比べ素晴らしく
整理され、朱色の殿堂が輝くばかりの美しさに変わっていた。


壺阪寺は大宝三年(703年)弁基上人によって開かれた霊山で、壷阪の
山の中腹に建つ。ここからは明日香の里を始め、遠く二上山、葛城山、
生駒山も一望できる景勝の地でもある。


特に当寺は古来から眼病に霊験あらたかな寺と信仰を集めており、昔
から目の不自由な人々にとっての聖地として厚い信仰と深い願いがこ
められ、全国各地から訪れる人が絶えないと聞く。


壺阪寺の説話「壷坂霊験記:お里、沢市」は余りにも有名であり。
他にももう一つの霊験記として「さよ姫伝説」がある。


その頃私の家内も、当寺の目薬は特に疲れ目に効果があると、常時取り
寄せて使用していた。


壺阪寺から山に登ると、頂上が高取城で、今は城跡の石垣のみが当時を
しのばせる。この城は豊臣秀吉の弟秀長の家来「本多利久」が高取城主
であった。 その後壺阪寺は 明治の廃藩置県まで続いた藩主、植村氏
の庇護を受けて復興したと記されている。

★ 仁王門前の境内:左が「養護盲老人ホーム慈母園」 
★ 右が大講堂500人以上収容できる
★ 正面に仁王門:多宝塔(平成14年4月落慶)
★ 奥に三重塔(要文・明応6年(1497)再建)



 

 ★  本尊祀る八角形の御堂八角円堂:創建大宝3年(703)

★ 本尊十一面千手観世音菩薩 

殊に本尊十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかな目の観音さまである。
本来お寺の本尊は撮影禁止のところが多いが、ここは写真をご自由に写して

いいですよと言われたことが印象に残る。


  壺阪山 南法華寺(壷坂寺)
  住所   : 奈良県高山郡高取町壷坂
    本尊 : 十一千手観音菩薩面
    ご詠歌:   岩をたて 水をたたえて 壷坂の  庭のいさごも
         浄土なるらん


説話「壷坂霊験記」


今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも
仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職と
いうなんともつつましい暮らしであった。


そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午
前四時になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。


「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、
この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。


疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の
中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、
一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げて
しまうのであった。


不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げ
てしまう。
しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、
沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。


本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられて
いる谷がある。


もう一つの霊験記 さよ姫伝説


壷坂の村に住む姫君が、貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲し
んでいると陸奥国の商人が15~16歳の女性を買いに来たので、進んで我
が身を売ったその理由が、大蛇に人のを供えなければならないという。


決められた池で待つと長さ10丈(30メートル)もある大蛇が現れた。


姫君が御経を読むと親孝行の功徳により、大蛇は歓喜し、姫君を乗せて
天に昇る。姫君は実は弁財天、大蛇は実は壷坂の観音菩薩であり、末世に
おいても信心があれば二世安楽うたがいなしと結んでいる。


 

      ★ 高取山l城跡


高取山山頂(約600m)「高取山l城跡」は、壷坂寺から車で約5,6分だが、
下車して本丸跡まで約500メートル程を 徒歩で登る。
城跡の石垣から城の規模の大きさに驚くが 「何故こんな不便な所に山城を
作ったのか」 と疑問もわく。しかし下界を見ながらの弁当は最高であった。



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