名刹の旅 no-50 : 大原 寂光院
岩清水を引いた三段の滝
「玉だれの泉」といって一段 一段高さと角度が異なり、
三つの滝のひびきそれぞれ 異なる音色が一つに
合奏するようにできているとされる
★ 寂光院は2000年5月不慮の火災により本堂が焼失し再建中。
先代の庵主さまが お庭を散歩されていた
★ 山門を付近の景観
歳、老いるほどに、若い頃の友人が懐かしくなる。
私が退職の年に、今までずーと文通していた若い頃の友人と
数十年ぶりに会う約束をし、再会の場所を京都大原の寂光院
ときめた。
その前日は大原の宿で、ほのぼのと続いてきた友情を、酒を
酌み交わしながら語り合い、思い出すこと多くその日は強く
心に残る一日となった、
季節は晩秋、寂光院付近は真紅な紅葉にそまる。今回はその
時の記録である。
ここ大原寂光院は「平家物語」ゆかりの寺で、建礼門院様が
隠棲し晩年を過ごされた尼寺である。
寂光院は2000年5月不慮の火災により本堂が焼失した。私達が
訪れたのはその数年後である。その時本殿は緑の養生シート
で囲われ、新たらしい本殿の再建中であった。
しかし境内の木々には影響なく、院を取り巻く自然と紅葉は
一段と冴えてそれはそれは見事ものであった。
丁度その時、先代の庵主さまが お庭を散歩されており、その
お供の方から お庭について説明を受けた。後々にそれが友人
との再会のいい話題となったものである。
★ 境内の風景:空気はよし、紅葉はぐーと冴える
すこし歴史にふれると、建礼門院徳子は平清盛の娘で、高倉
天皇の中宮であり、安徳天皇の生母である。
源平の最後の合戦、壇ノ浦で敗れて平家一族が滅亡した。
この壇ノ浦の戦いで、建礼門院徳子は 安徳天皇・時子の入水
の後に自らも飛び込むが、救助されたという。
建礼門院はその後も生き残り、我が子安徳天皇の菩提を弔いな
がらこの地に侍女たちと閑居して終生を過ごされた。
ここ大原寂光院は、平家物語を今に感じる無常の寺院である。
寂光院付近の紅葉